令和四年度からの高校の普通科4分化体制について ― またしても教育格差が拡大する普通科の〝多様化〟(解説Podcast付き)

アホな文科省は、令和四年度から、高校の普通科「改革」のなかで、普通科を四つに分け始めたことを、みなさんご存じですか。 普通科(従来の)、 学際領域学科、 地域社会学科、 その他普通科、...

自然釉マイブームに乗って、コーヒーを湯飲みで飲むことは是か非か ― 生成AI先生の回答から

私の遅まきながらの『スカーレット』(NHK)から始まる自然釉ブーム。ちょっとこのマイブームを生成AI先生に相談して深掘りしてみた。 ●自然釉の湯飲みで、コーヒーを飲むことはありうるか? ●生成AI先生 ありうる。しかも、わりと本質的にありうる。 まず事実として 高級な湯飲み(たとえば楽焼・唐津・李朝系など)でコーヒーを飲む人は実際にいる。茶人・陶芸家・美術館関係者にも珍しくない。 ただし、この問いは単なる「可否」ではなく、たぶんこういう緊張を含んでいる: 湯飲み=日本的/茶の器 コーヒー=西洋的/近代的 ...

NHK朝ドラ『スカーレット』(2019)を今頃見ながら、〈昭和〉と高市政権とリベラリズムを考える(解説Podcast付き)

NHK朝ドラ「スカーレット」(2019)の主人公・川原喜美子(戸田恵梨香)は、昭和12年生まれ。私より17歳年上。 このドラマ、昭和の時代を辿る意味で、貴重な風物誌が展開するが、私の父親は昭和元年生まれ。敗戦時にはちょうど多感な青年だった。 戦争教育を受けて、占領軍の自由と平和の日本国憲法(歴史的には非軍事化の日本弱体化政策)という変遷を多感期に生きた父親は、一体その〈変化〉をどう思っていたのだろう。 父8歳で日本は国際連盟脱退。11歳で二・二六事件。15歳で大政翼賛会誕生。16歳で太平洋戦争開戦。父は、赤紙で召集されたが、出征の手前で終戦を迎え、戦争体験はない。 吉本隆明は大正13年生まれ。父の二つ上。要するに軍国青年という点では吉本と父は同じ時代を生きて、軍国教育と〝平和〟教育との矛盾を体験した世代。 なぜ、私は吉本の〈転向〉論には関心を強く寄せたのに、傍にいる父親に、その矛盾の襞を聞...

生成AI先生から情報を得ることとテクストを読むことと。

生成AI先生は、あらゆることをまとめる〝能力〟についてはとても長けているが、テキストを1行1行読み込んでいくプロセスの中での、著者の心の〝彩〟みたいなものが見える個所がいくつか見つかる読書の体験を再現することはできない。...

高市解散の大義について

●高市解散の大義1.0(1月15日の解散会見の前に書いた記事)※解散会見後の大義の追加は「この続きを読む」をクリックしてください。※※解説Podcast付き (1)少数与党のままではやりたいことができない(石破を破った意味が無い) (2)石破予算に過ぎない予算案をそのまま通しても意味がない(選挙に勝って、「責任ある積極財政」からの大幅な予算案修正を行いたい) (3)「責任ある積極財政」に対する与野党の〝反対勢力〟を押さえ込みたい(本当は減税反対派の自民党内候補者に小泉的な落下傘候補者を立てたいくらいだ) (4)どうでもいいようなアジェンダで予算委員会(国会)を開催するくらいなら、直接国民の前で選挙戦を戦った方がはるかにまともな議論ができる。 (5)「党内的にも国会的にも少数派である私(高市)にみなさんの力をください」がこの解散総選挙のスローガン。...

高市首相(総裁)の勝敗ガイドラインの意味について

報道ステーションは、高市会見の自民党+維新で過半数という勝敗ラインの提示を、これまでと変わらない、解散の意味がない、と相変わらず頓馬な〝解説〟をしているが、そんなアホな。公明党なしの政権確保というのは、大きな前進ではないか。...

生成AI批判の前提について ― 誰でも間違うようにして、生成AIも間違う。

生成AIの時代になると、その回答が正しいのか、間違っているのか、判断する側の〝能力〟が問われるし、これからの教育の課題もそこが大切、とアホな教育関係者は宣うが、そんなはずがない。...

2026年、元旦。あけましておめでとうございます ― 不在の死と死の不在と。

若い人が将来どんな人物になるのかということには、こころを砕いてきたが、その人物が生きている時間を共有できないというのが、自分が死ぬということだなというのをやっといまわかるようになった。...

TBS『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(谷口菜津子原作)とラカンの「欲望とは他者の欲望である」ことについて

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS、谷口菜津子原作)を見ていると、ジャック・ラカンが「欲望とは他者の欲望のことだ」と言った意味がよくわかる。...

選択的夫婦別姓問題について ― 貧相な個人主義のなれの果て(Spotifyポッドキャスト解説付き)

夫婦別姓を、〈家庭〉より〈個人〉という思想で持って主張する人は、何を考えているのだろう。 たぶんそれは、性愛の否定でしかない。性愛の本質は〈子供〉を疎外化するというのは、ルソー的な自然主義やロマン派(ゲーテやノヴァーリス)の「内なる心」論に反して、ヘーゲルの考えたことだが(『精神現象学』、『法哲学』など)、その疎外の意味は、二人で一つという性愛の本質(子供)を言い当てている。 ...

「個別最適化」学習を学校教育に持ち込むと教育格差はますます拡大する。

8月27日のFacebook投稿で、元文科大臣の下村博文さんが、以下のようなことを言っていた。 なぜ全員が同じ教科書、同じスピードで学ばなければならないのでしょうか?現在の義務教育は、全国一律のカリキュラムに基づき、子どもたちが同じ内容を同じペースで学ぶ仕組みです。しかし、理解が早い子もいれば、じっくり考えることで力を伸ばす子もいます。画一的な教育は、子どもの多様な才能を活かしきれず、結果的に学ぶ意欲を奪うリスクがあります。 そこで私は「AIドリブン学習革命」を提案します。AIの活用によって、子ども一人ひとりに合わせた個別最適化された学びを実現するのです。学びが早い子はさらに挑戦的な課題へ、つまずいた子には理解を深めるサポートを。教師は「一斉に教える人」から「伴走する人」へと役割を転換し、子どもが自分のペースで確実に学びを積み重ねられる環境を整えます。義務教育を一律から個別へ。これこそ次世...

「試験の点数」軽視と教育格差について ― 〝主体性〟〝人間性〟教育が教育格差を拡大することについて

教育の目標は「試験の点数ではない」、「点数で子供の〝能力〟を測るべきではない」と言われて、もっとも被害を受けるのは、文化的にも経済的にも貧乏な家庭の子どもたちだということを未だにわからない連中がいる。 その連中は、「知識だけ」ではなく、〝主体性〟や〝人間性〟が大切とか言いながら、文化的にも経済的にも貧乏な家庭の子どもたちを食いものにしているだけのこと。そもそも「主体性」「人間性」という科目免許を持った教員などいない。そんな教員審査もされていない。誰が何の名目で、そんな〝審査〟ができるというのか。 そもそも泥棒も主体的に(場合によっては命がけで)泥棒をやっているわけだし、戦争のような非人間的で卑劣なことを行うのも人間性と言われているものの一つです。人間的であるからこそ非人間的であることはいくらでもあります。主体性とか人間性という耳障りのよい言葉は、問題の本質を解決する言葉ではなくて、むしろ...

今頃『海のはじまり』(2024)をみた ― 誰ひとり寂しくはなく、誰もが寂しい愛の物語。

この作品『海のはじまり』(2024)は、7歳の娘「海(うみ)」のはじまりが、それぞれの登場人物の中で、すこしずつずれて始まるということ、その複数の時間のずれたはじまりが共鳴し合ってドラマは進行していく。そして、登場人物のすべてが、それぞれのずれあう「はじまり」を有しているということだ。 ...

『ゆきてかへらぬ』(監督 根岸吉太郎)を観た ― 中原中也の愛した女

『ゆきてかへらぬ』(2025)を観た。監督 根岸吉太郎、脚本 田中陽造。 中原中也と長谷川泰子と小林秀雄が踊るさまだけでもみていてどきどきする。 中原中也の木戸大聖は全然ありだが、小林秀雄の岡田将生はちょっと違うと思う(ただし、煙草の吸い方は似ていた)。広瀬すずは熱演していたが、さすがに長谷川泰子を演じるのは無理。 しかし、小林秀雄に向かって「私の背中曲がっていない? …支え棒なしに歩いているから、かな」と、中原中也の焼却場の煙を背にして語る、広瀬すずのセリフはぞっとするほどの迫力だった。 小林秀雄もこんな女を前にすれば奈良(志賀直哉のところ)へ逃げるだろう。『本居宣長』を書けたのは長谷川泰子のおかげかも。...

10回以上の引っ越しの中で、60年間以上、持ち付けているもの ― 京都元祖『眠眠』とその社長秘書・中井さんの絵(Spotifyポッドキャスト付き))

◎京都元祖『眠眠』とその社長秘書・中井さんの絵 この拙宅の玄関にある絵(2015年60歳になる秋に終の棲家に引っ越して以降)は、私の伝記自体みたいなものなので、その経緯を〝遺書〟として書いておきましょう。 と言っても大した意味はない。単純に、たぶん私の今の自宅にあるもののなかで、一番長く私が持ち続けている物だということだ。家内と会ったのが中学一年だから、この絵はそれより2年先にあっているということ。長い! ...

大学において、期末試験(履修認定)を第三者化する意義について(Spotifyポッドキャスト音声概要付き)

シラバスや教材や小テストなどをいくら充実させても、期末試験(単位認定権 )が担当教員の手中にある限り、それらは絶えず形骸化する。意味がない。あらゆる〝教育改革〟は、この試験管理(判定管理)を棚に上げたままでは、すべて空虚。逆にあらゆる〝教育改革〟は、どうやって試験管理するのかをはっきりさせてから進むべきだ。 ...

英語で論文を書く、英語で授業を行うという貧困について

東大の授業の英語化(東大大学院工学系研究科)が議論されているが、昔、柄谷行人が(日本語で思考することの不利がらみで)英語で書き始めたとき、吉本隆明が、ほんとに国際的な水準を有しているのなら、誰かがその論考を何語にでも訳してくれるさ、と揶揄していた。たしかに、フーコーと吉本隆明との画期的な対談を通訳していたのは、後に東大の総長にまで上り上がる蓮實重彦だった。...

多様性教育、個性教育はマーケティングにすぎない。

たぶん、学校教育において、「多様性尊重」とか「個性を伸ばす」とか声高に叫んでいる人たちは、単に営業しているだけなのだ。そう言わないと集まってこない、教育できないマーケットを相手にしているに過ぎない。 本来は、好き嫌いと関係なく、学ばなくてはいけないことがたくさんある学校教育の課題を正面から見据えず、また見据えることができるほどの教員マネジメントのノウハウを持たないまま、そういった体のいい営業言葉を前面化しているだけのこと。 楽しく、主体的に学ぶことは重要なことだが、それは、学ぶべきことを学ぶプロセスの中でないと意味がない。...

「いま言われたことがもし本当なら、何度死んでもいい」というプラトンの言葉(『ソクラテスの弁明』)は、「かくあったか、ではもう一度」というニーチェの言葉に通じている。

死んだ人と、会わない人との違いはなんだろう。古い同級生などは消息不明だが、消息不明の人と死んだ人との違いはなんだろう。関心のない人と死んだ人との違いはなんだろう。アリストテレスに関心はあっても、会えなくて悲しいということはないし、親しい友人ほど会いたくないということもある。これらすべては、生死や実在とは何かという問題に関わっている。 動物も大概の場合、〝抵抗〟しない(反論しない)ことを思えば(動物も抵抗すると思う人は、大概の場合、自分の都合のいい抵抗をそう見なしているだけのこと)、死んでいるのと同じ。沈黙する恋人は、噛みつく犬より怖いに決まっている。 ヘーゲルもまた反抗するのが自意識をもった人間と動植物との違いだとどこかで書いていたが、死んだ(反抗しない)人間と動植物との違いはなんだろう。人は墓石に話しかけるように、犬に話しかけているとしたら。...