今日は、国立がんセンターの渡辺先生のところに、定期診断受診に。

診察室の椅子に座った途端に「おめでとうございます」と。はて、なにかめでたいことでもあったかなと、間抜けた顔をしてしてしまったが、先生の方から、「今日は芦田さんの肺がん手術からちょうど5年目です。5年再発の気配がありませんから、よかったですね」と。「あらー、もう5年でしたか」と、私。

「肺の中もこのように綺麗ですし、血液検査のマーカーも異常なしです。五年経ちますと、次回から診断料が5000円近くにあがりますが、どうしますか。次回は一年後にしますか、それとも半年後か」「半年後でいいです。まあでも、気をつけることも今さらないですけどね」と私。「タバコも吸ってませんよね」「はい、20才の前半の2年だけですね」「ではもう特に気をつけることもないです」。「それは、よかった」と私。

渡辺先生は、区域切除の名医。東京でも、区域切除の肺がん手術ができる病院は、順天堂大学とここだけ。順天堂大学も、国立がんセンターの渡辺先生のグルーブの医師がいるので、〝発生〟の地は、国立がんセンター。

区域切除とは、初期の肺がん、ステージ1か2の初期の場合、その肺がんの部位だけを区域的に切除して終える手術のこと。東京でも大概の大学病院は、5つからなる肺のパートの、一部位全体を大きく切除することになる。

その手術では、簡単に言えば心肺機能が5分の1に落ちることになる。階段などで息切れしやすいことになる。そもそも一センチ前後の肺がんのために、そんなに大きく切除されても、と私は区域切除のできる病院を探していた。

三田病院も慈恵医大も、「部位全体を切除する」と言われて、「その根拠は」と聞くと、「それが当病院の標準手術です」としか言わない。そこで「それはどこの『標準』? アメリカの外科学界の? 日本の外科学会の? それとも厚労省がらみの?」と聞いたら、口ごもって、それ以上どちらの病院も答えない。「どうしてもと言われるのであれば、チームの先生と相談しますが、区域切除の格率は小さいかと」というのが結論だった。

私がそこで理解したことはただ一つ。癌手術の外科医の傾向は、できるだけ大きく切除して、転移の危険性を防ぎたい、転移した場合、なぜもっと大きく切除しなかったのかの患者のクレームを防衛的に阻止したい、ということなのだろうと思った。

ただ、一部位全体を切除することになると大きな手術になるし、術前術後「2週間くらいは入院する必要がある」。その点でも身体の負担は大きい。

そこで、大して余命もない私の年齢で大きな手術などしたくもないし、息切れの余命というのもさまにならないので(それでなくても、高齢で、地元御殿山の坂を上るだけでも息切れしているのに)、なんとか肺がん部位だけの区域切除をしてくれるお医者さんを探していて、渡辺先生に当たったのだった(ちょっとした大きなコネを使った)。

最初にお会いしたときに、入院はどれくらいになりますか? と真っ先に聞いたら、「区域切除で間に合う大きさなので、術後2日後に退院できます」と言われた。

私は、そもそも肺がん手術の勉強などしたくないし、がんそのものの知見も全くなかったが、一センチ足らずのがんのためになんで10センチ以上の部位全体を切除されなきゃいけないのよ、と、その一心で渡辺先生に出逢えたことを感謝。「区域切除」という言葉もそのとき初めて知った。

しかしそれ以前に、外科手術の自信は、とにもかくにも入院期間をどうとるか、どう説明するかで決まる。下手な外科医ほど、術後の経緯をみたがって、入院期間を長めに説明するわけだ。私は「二日間」という渡辺先生の言葉で、この先生なら大丈夫、と確信した。「お願いします」と。

今、五年前のカレンダーを見てみると、2021年3月12日金曜日に手術して、15日月曜日朝退院している。タクシーで一人で行って、タクシーで一人で帰る、というとてもがん手術とは言えない態だった。ただし、〝立派な〟Bluetoothスピーカーとか、空気清浄機だとかノートパソコンだとか、コーヒーメーカーだとか、いつもの入院グッズを段ボール3箱に入れて入院していたものだから、全身麻酔後の帰りのしたくは大変だった。看護師さんに「手伝ってよ」とやむなく頼んだが、「3日や4日の入院でこんなにたくさん〝もの〟を持ち込む人はいません。だから帰り支度が大変なんですよ」と笑いながら言われた。ちなみに、がんセンター(築地)は、順天堂病院と違って、コーヒーメカーも持ち込みOKだった。

そしてそのままその週の17日の学内会議に議長として参加している。その週は退院時にもらった痛み止めの薬も一切飲まないで済んだ。これも区域切除のおかげだ。

あれから5年。手術時66歳、現在71歳。久米宏が肺がんで最近亡くなったが81歳だった。私は久米宏のようにあと10年も生きる自信はないが、彼は元気な頃から、「人生はあっという間だ」と何度も言っていた。石原慎太郎もそんなことを。

こう言える人は、まだ死にたくない、こんなに楽しいのに、と最晩年を〝幸せなとき〟と思えているに違いない。

その意味では、「人生はあっという間だ」と言える人間は、いい気なもんだと私は思う。人生はそんなふうに結果論のように語るものでもないだろう、と。「人生はあっという間だ」というのももうろくの一つなのだ。

※写真は、旧築地市場の跡地前にある国立がんセンター。入院当日病室から撮影したもの。


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