映画『灰とダイヤモンド』は、私が高校時代の「現代国語」担当の恩師・松本純(60年安保の敗北の戦士)が、私に「芦田、『灰とダイヤモンド』観たことあるか」と思い入れたっぷりに語っていたときはじめて知った映画。目的を失った人間の孤独が見事に描かれていました。思わず主人公マチェクの印象的なサングラスを真似て付けてました。

松本純先生にその時に同時に教わったのは、西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』は、60年安保の敗北でうなだれた大学生たちが雨にふられてさまよう様を歌った歌なんだ、ということだった。妙に説得力のある話だった(笑)。
彼の自宅にも訪れたときがあって、中野重治全集が置いてあったことだけはよく覚えている。当時の高校の先生の書斎ならどこでもそれくらいのものはあったと思うが(私には、中学を出たての15,16歳の私には、高校の先生は同時に〝知識人〟に見えていた)、最近の先生は大学の先生でさえ、全集を持っていない。どういうことだ。
彼に「現代国語」を担当してもらって、10クラスあった学年のトップの成績を取れるようになった。期末試験を終わったあと、わざわざ「芦田、一番だったよ」とうれしそうに駆け寄ってきてくれた松本先生だった。多分誰よりも私の答案を見たかったのだろう。時には「なんであの問題解けなかったのよ」とも。※今思い出したが、そういえば、大学の英語担当の永坂田津子先生も、私の結婚式の主賓挨拶で、その英語の私の、10年以上経っているよれよれの答案用紙を披露して、「これ、芦田くんの英語の答案用紙です、私が初めて付けた100点でございます。その上、解答欄の余白にこう書いてございます。『先生、試験の訳読回答なので、精確さを中心に訳します。文学的な表情なしに訳しますのでご勘弁を』と」と笑って話されていた。この祝辞1時間以上続いたと思いますが。
私はその時から、試験問題こそ、教員と生徒・学生との最大の〈コミュニケーション〉の契機だと考えるようになった。期末試験を〈解く〉とき、生徒・学生は、初めて〝先生の本心〟を〈わかる〉のだ。授業の語りや教材がどんなものであったかと関係なく。
それは、今も大学教員を前にして、私が主張し続ける最大のアジェンダだ。昨日も法人理事長+大学幹部を前にした会議でその趣旨の新年度事業計画基本方針を策定したところだった。
試験問題を採点するとき、教員(と学校)は、自分の授業と教育のすべての〈反応〉をそこに集約できるような〝仕組み〟を作る必要がある。それが〈期末試験〉(単位認定)だ。
そう私が言えるのも、この松本先生が採点後駆け寄ってきてくれた廊下の一風景が原点になっている。
アクティブラーニングなどのルーブリック評価のような〝評価〟や、〝多面的〟で〝総合的〟な評価がなぜくだらないかと言えば、その種の評価は学生を評論家のように第三者的に評価して終わるからだ。そんな関係の中では、松本先生と私との間にあるコミュニケーションは100年続けても生まれない。
かれは、私を東京へ送った数年後に、酔いどれたまま交通事故で亡くなったが、まさにマチェクのような生きざま=死にざまを見せつけてくれた先生だった。彼そのものが〈文学〉だったのだ。
いまから思えば10万人もいない片田舎出身の私が、東京の大学を選んだのも、私の高校の恩師と言える先生がふたりとも(松本先生と塩見先生ともども)東京の大学を出ていたからだ。後は京都の教育大学出身の先生たちばかりだったが、すべてつまらない授業だった。
松本先生のおかげで、私は雑誌「近代文学」に集まった文芸評論家たち、平野謙や本多秋五、埴谷雄高や小田切秀雄を片っ端から読むことができた。当時、高校生でも、これくらいの連中が書くものを読む力はだれにでもあった。なぜなら、当時、時代のほとんどの感性は、マルクス主義だったからだ。マルクス主義は、今を待たなくても、遙か以前からグローバリズムの老舗だった。当時、世界史を意識しない若者などいなかった。どんな片田舎の青年であっても。
