苅谷剛彦と家庭格差と教育格差について(『シラバス論』278~286頁)

(…) 苅谷剛彦は、戦後教育(日本型学歴主義)の平等感を、「画一的な平等化(生徒を分け隔てなく同じように扱う)」→「教育機会の拡大(高校全入運動)」→「メリトクラシーの大衆化(〝生まれ〟によらず誰にも教育において成功するチャンスが与えられている社会)」→「競争条件の均質化、平準化(偏差値による「客観的」「可視的な」基準による選別の公平性)」→「特権意識のない(…)学歴エリートの誕生(特定の文化的アイデンティティを持たない、大衆との連続線上に存在する学歴エリート)」→「不平等問題への視線の弱化(差別感を持たない教育への配慮)」と六段階に整理して、以下のように言っている。 「形式的な平等性によって、選抜の公平さを確保してきた戦後の日本では、これまで主観的な評価を受け入れる伝統が弱かった。従来の入試のように日本では形式的に人びとを公平に扱う手続きが、選抜の公正さを支えてきたのである。そのような社...

〈教育〉と〈education〉という言葉の語源について(『シラバス論』272~277頁)

(…)特に中曽根臨教審第二次答申(1986年)の第二章には「家庭の教育力の回復」と独立して章があてられ、「(…)教育を学校のみの問題としてとらえがちであったことについて、家庭が反省し自らの役割や責任を自覚することが何よりも重要である」とある。自民党保守派の家族主義が独立した章にあてがわれるほどに臨教審のイデオロギー色は強い。私はこれを臨教審の曾野綾子主義と呼んだことがある。 教育現場では〝できない〟学生が発生し欠席が連続し退学予備軍が生まれると、保護者と連係を取ろうという動きが生まれるが、〝できない〟学生の保護者は保護者自体が困難な事情にある場合も多く、「家庭が反省し、自らの役割や責任を自覚する」余裕などほとんどないのが現状である。答申から30年以上経って、その現状は日増しに高まっている。教育現場(学校)が「学校(教育)だけではどうしようもない」と音を上げたときに、子どもたちが戻れる家庭な...

名門私立小・中学校の入試と底辺大学の入試とが同じくAO入試である理由(『シラバス論』269~271頁)

(…)一方で東京の名門私立学校が形成する家族主義的に選抜された学生群─この子どもたちの親は一般的に言ってその子どもたちが通う学校の教員よりも学歴(学校歴)と識見が高い ─ が存在し、一方でメリトクラシー(努力主義)によって非家族主義的(点数主義的)に這い上がってきた「グロテスクな」学生群 ─ 「それなりに才能がある、つまりそれなりの才能しかない」(高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年)と高田が指摘した文化人たち ─ とが存在している。天皇制の反対概念がメリトクラシーだと言ってもよい。 不思議なことに、名門私立学校と偏差値も付かない学校の入試選抜とはどちらも人物評価であるが、前者は中高一貫校選抜での家族(親)への評価、後者は学生個人への評価である。...

大学の種別化、機能的分化と専門職大学のことなど(『シラバス論 』261~265頁)

(…)文科省の悪名高き「我が国の高等教育の将来像」答申(2005年)は、大学の「機能的分化」という言葉を使って、大学を以下の7つに分けていた。「① 世界的研究・教育拠点、②高度専門職業人養成、③ 幅広い職業人養成、④ 総合的教養教育、⑤ 特定の専門的分野(芸術、体育等)の教育・研究、⑥ 地域の生涯学習機会の拠点、⑦ 社会貢献機能(地域貢献、産学官連携、国際交流等)」。 これが悪名高い分化論であるゆえんは、既存の大学の偏差値格差、都市大学と地方大学格差を「機能的分化」という言葉でまぶしたような分化論=大学階層化にみえるからだ。20年前の中曽根臨教審のなれのはてがこの「将来像」答申だと言ってもよい。なぜかと言えば、その20年間であれだけ手垢の付いた「個性」「特色」という言葉をこの「機能分化」にことよせて、「個々の学校が個性・特色を1層明確にしていかなければならない」と言うのだから。2008年の...

「シラバスの書けない教員こそアクティブ・ラーニングや演習授業が大好きだ」(『シラバス論』261頁)。

(…)最後に触れておかなければいけないのは、「大綱化」以降(厳密には中曽根臨教審以降)の大学改革と並行して進められた「新学力観」のことだ。「新学力観」において、「豊かに生きる力」の資質としての「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」が「観点別評価」と共に前面化されたが、これらの「ハイパー・メリトクラシー」(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年)は、カリキュラム開発の動機を殺ぐものでしかない。 なぜかと言えば、「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」などは結果の能力であって、目的にするほどの固有性はないからだ。たとえば、この「新学力観」が嫌う紙ペーパーテスト試験 ─ とりあえずこの「新学力観」が嫌いな「知識」だけを問う試験 ─ の点数は、そもそもが「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」の成果でないとしたらなんなのだろう。そんなものを伴わない「丸暗記」などあり得ない...

2月27日朝日新聞朝刊「文化・文芸欄」の私の記事「究極に公平な入試とは ― マークシート、実は家庭の影響の排除」の補説

私の近刊『シラバス論』(晶文社)の補論(1)「大学入試改革と人物評価主義について」(309頁~331頁)が機縁になって朝日新聞社から依頼があり、1400文字という厳しい文字制限の中でなんとかまとめた入試改革議論が2月17日朝刊の「文化・文芸欄」に掲載されました(以下挿入画像参照のこと)。1400字に簡略する前の段階の原稿(この原稿は1900文字あり、それを1400字に再度書き直したものが朝日の記事です)を掲載しておきます。少しはこの詳細版の方がわかりやすいかと。もっと詳しいバージョンは、『シラバス論 ― 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』(晶文社刊)の当該個所とシラバス論本論をお読み下さい。シラバスの問題と入試改革の問題は、同じ問題の裏表の関係になります。それが私のここ数年来の主張です。 ---------------------------------------- ...

『ヒア アフター』(2011)の二度目を見た。

あやしげなテーマを扱っているのに、こんなに心の温まる映画はない。ずっと前に観たことがあったが、Netflixがあまりにもつまらないので、名作を二度見するばかりの今日この頃。映画なんて、〝選択〟して見るもんじゃない。...

「シラバス論 ― 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について」(晶文社・近刊)、どこよりも早く手に入る書籍販売付き出版記念講演会のお知らせ ver.12.0

― はじめて参加される方、「場違いだな」と思う方むしろ大歓迎(芦田の解題講演含みます)。 定価2970円(税込み)、560頁の『シラバス論』(晶文社刊)が、2400円(税込み)の著者割引で当日、どこよりも早く手に入ります!!。すでにAmazonでも予約できます→「シラバス論」予約 日時 2019年12月8日(日曜日) 場所 東京マリオットホテル(品川) 1階玄関左正面「スタジオ」https://www.tokyo-marriott.com/ 時間 14:00~16:00 会費 3600円(税別) ※おつりのないようにお願いします。   会費の中には   ※食べ物(14:00からなので軽食ですが我慢してください)   ・フィンガーサンド   ・プレッツェル   ・ミックスナッツ   ・トルティーヤチップ   ・フレンチフライ&オニオンリング   ・ミックスグリーン   ※飲み物   ・カー...

ver.2.0「シラバス論」序文 ― シラバス論が書かれなければならなかった四つの理由について

今年の11月刊行予定の書籍の「序文」ができあがりました(少し序文も長くなりました)。あとは、後書きだけです。 ※なお文中に表れる(●●●●●●)といった表記は、その直前の語句に降られる傍点を意味します。●の数はその直前に傍点が振られる語数と対応してます。ブログでは傍点を打つ機能がないのでこうなります。あしからず。 -------------- ●まえがきにかえて ― シラバス論が書かれなければならなかった四つの理由について 「シラバス論」。奇妙なタイトルを付けてしまったが、文字通りこの本は、「シラバスとはなにか」ということに一六〇,〇〇〇字(昔ふうに400字原稿用紙枚数で言うなら四〇〇枚)も書き込んでいる。たぶんこんなタイトルの本は、この本の前にも後にも出てこないだろう。それでも、この本については、「シラバス論」以外のタイトルは思いつかなかった。出版社が渋ってもゆずれない思いで、このタイト...

シラバスとは何か(2) ― コマシラバスはなぜ必要なのか ver.20.0

※なお、この論考は、他の論考も含めて『シラバス論 ― 大学教育と職業教育と』(仮題)として2019年11月に刊行決定(その他に人物入試批判、キャリア教育論などの原稿を併載)。このシラバス論だけで137000文字(昔風の言い方をすると400字詰め原稿用紙で約342枚)ありますが、途中で投げずにしっかり最後まで読んでください。教育関係者以外にも役立つはず。 この「シラバス論は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなりました。もう増補分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせず期待していただいた読者のために、【1(第1章~第3章)】と【2(第4章~第5章)】に分けて掲載することにしました。両者に【註】の通し番号を打っています。この形で両者とも出版まで加筆し続けようと思います。よろ...

シラバスとは何か(1) ― コマシラバスはなぜ必要なのか ver.20.0

※なお、この論考は、他の論考も含めて『シラバス論 ― 大学教育と職業教育と』(仮題)として2019年11月に刊行決定(その他に人物入試批判、キャリア教育論などの原稿を併載)。このシラバス論だけで137000文字(昔風の言い方をすると400字詰め原稿用紙で約342枚)ありますが、途中で投げずにしっかり最後まで読んでください。教育関係者以外にも役立つはず。 なお、この記事は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなりました。もう増補分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせず期待していただいた読者のために、【1】と【2】に分けて掲載することにしました。両者に【註】の通し番号を打っています。この形で両者とも出版まで加筆し続けようと思います。よろしくお願いします。→大学カテゴリーラン...

【註】シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか ver.5.0

【註】シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか  この記事の本文を含む全体は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなったためのやむなしの(本文との)分離掲載です。加筆分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせずフォローしていただいた読者のために、【本文】と【註】を分けて無限に加筆掲載できるようにしました。両者に【註】の通し番号を打ち照合できるようにしています。その形で両者とも出版まで加筆し続けようと思います。本文(http://www.ashida.info/blog/2019/05/post_444.html#more)と合わせてお読みください。この註だけで50,000字前後あります。註+本文で122,000字くらいです。根気よくお読みください。二ヶ月で1200...

【本文版】シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか(ver.750.0)

シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか ※なお、この論考は、他の論考も含めて『シラバス論 ― 大学教育と職業教育と』(仮題)として2019年11月に刊行決定(その他に人物入試批判、キャリア教育論などの原稿を併載)。このシラバス論だけで120,355文字(昔風の言い方をすると400字詰め原稿用紙で約300枚)ありますが、途中で投げずにしっかり最後まで読んでください。教育関係者以外にも役立つはず。 なお、この記事は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなりました。もう増補分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせず期待していただいた読者のために、【本文】と【註】を分けて掲載することにしました。両者に【註】の通し番号を打ち照合できるようにしています。その形で両者とも出...

DSF11MHz音楽ファイルの再生は、音の風が吹く ― 「ハイレゾ」ファイルは無駄使い

朝からお仕事前のDSFファイル11.289MHzの音を聴いてかっと目を開く。この世のものとは思えない音が出て、演奏会場の空気感がスピーカーの背後に一気に広がる。 11MHzのDSFファイル再生だと音を聴くというより、音が空気を連れてきて、一音、一音が肉体をもつかのようだ。音が空間を作りあげている。 「ハイレゾ」(FLACファイルやWAVファイルのリニアPCM「ハイレゾ」)とは全く違う音だと思う。 ※私は、DSDマーカーレス再生する場合、DELA(HA-N1AH20/2)から、AccuphaseDP-750(お金がないのでAccuphase社からただいまお借りしているSACDプレイヤーですが)のUSB-DACに繋いで再生している。USB-DACを通じて再生する場合、マーカーレス再生は結構再生機同士の相性があるので接続確認はした方がよいとのことです。このDP-750の表示窓にある「11289」...

SACDプレイヤーとSACDに、今頃目覚めて

最近の「ハイレゾ」音楽の流行に乗って、「ハイレゾ」ファイルの数々をネット購入しはじめ(mp3からWAV、WAVからFLACへと)、数あるハイレゾファイルの中でも、特にはDSD(DSF、DFF)ファイルの音の良さに取り付かれて、「もはやCDの時代ではない」と思っていたら、DSD(Direct Stream Digital)記録こそ、いまから、20年前に登場した「SACD(Super Audio CD)」ではないか、とお恥ずかしながら今頃気づいて。 ※「SACD(Super Audio CD)」とは、→ http://ow.ly/QNyo30nsUKm ※写真は今頃買い直し始めたSACD。 そうこうするうちに、今頃SACDプレイヤーを(初めて)買って、そして今頃SACDを買いあさって、たとえば、私の生まれた1954年モノラル録音のフルトベングラーによるブラームス交響曲第三番をシングルレイヤーS...

顧客対応とは何か ― 不安の源泉は時間である。

お役様相談センターなどで散々待ったあげくやっとつながって(「大変お待たせ致しました」との謝罪で始まるのだが)、相談しているとやはりそこでは処理できずに話の途中で「少々、お待ちください」と言われることがよくある。 もうこうなったら何時間でも待ちますが、「少々」と言われても1分なのか10分なのか100分なのかこちらでは全く分からない。100分と前もって分かるのなら、全然待てますが。 対応担当者としては、「たぶん(これまでの経験では)2,3分で終わるだろうと。ほんとにすぐ終わるだろうから、だから『少々』と答えました」と言うつもりだろうが、そう言われた相手は、その「つもり」は全く読めない。 時間はいつも前から流れる。後ろは見えない。前にあるものは、「少々」という言葉しかない。5分待つのも、100分待つのも同じ。5分で終わるか100分で終わるか結果=終わりが分からない、前から進む時間にさらされた人に...

ノート論

1)ノート論 授業が〝わかる〟とか〝わからない〟とかいう場合の一番切実な問題は、学生一人一人の理解の水準に授業(授業教員)が対応できないということである。 理解の〝水準〟と言っても、それは学生の基礎学力に差があるということではない。〝水準〟というより、すべての人間(学生)は同じひとつのことを学ぶにしても、様々なプロセスを通して〝理解〟に至るのであって、一人の教員が授業で行う展開は、たんに一つの理解プロセスをシミュレーションしているにすぎない。...

表現の成立について(メモ) ー 検索か、終わりか

いろいろな〈思い〉が、言葉の〈表現〉の〈より先に〉あるとすれば、〈表現〉の課題は、言葉の時間過程なのだから、〈思い〉の存在は、時間がかかる言葉の展開と絶えず矛盾する。そもそも時間をかけて繰り出した言葉の全体も、最後まで読まれないかもしれない。なにから言葉にすべきか、なにをもってピリオドを打つか、これは極めて人工的な(意識的な)行為だが、それも、〈表現〉が時間的なものとの戦いによって構成されているからだ。 そもそも、何をもって〈終える〉か、というのも、コンピューター(AI)には無縁の時間であって、コンピューターの本質は、やらせればいくらでも終えずにできることを本質としているのだから、ピリオドを打つという行為は人間に固有なことなのである。...

新入生歓迎の言葉(フレッシュマンキャンプにて) — 大学を選ぶことは、テキストを選ぶこと

新入生歓迎の言葉(蒲郡にあるホテル竹島にて) ご入学おめでとうございます。教職員を代表してご挨拶させていただきます。 ご挨拶代わりに、大学とこれまでの高校までの勉強のどこが違うのか、そのことに限ってお話させてください。 まずは、この学生生活の四年間、〈検索〉するなと言いたい。もちろんWikipediaも使うなと。 高校までの学習は、教科書による学習。 誰が書いてるのかの著者名は書かれているが、その誰かがどんな思想の持ち主かは書かれていない。Wikipediaになるともっとその洞察はやっかいなものになる。 大学の勉強は、その誰かの言うこと、書くことを評価し、吟味するためのもの。あるいは、一つのテキストや解説をみただけで、それを誰が、どんな思想の持ち主が書いたのかを洞察する能力を身につけること。それが大学で勉強する意味。 ...

人工知能(AI)と機能主義の諸問題(1) ― 日経BPnet「ストック情報武装化論」連載(第五回)

人工知能(AI)と機能主義の諸問題(1) ― 人工知能ほど主体的で人間的なものはない。 ●機能主義と行動主義 ― 「内面」とは結果に過ぎない。 機能主義の基本モデルは、簡単に言えば、「パブロフの犬」の条件反射。刺激を与えると一定の規則だった反応があるというもの。 機能主義は英語のfunctionalismの訳だから、むしろ関数(function)主義と言った方がわかりやすい。「パブロフの犬」に於けるベルの音と犬の食欲を表す唾液は、関数関係にあるわけだ。 刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)との間にある形式的な規則性が認められれば、その反応体(と取りあえずそう呼んでおこう)は何ものか「である」と。 機能主義は、どんな内容(=実体)がその刺激と反応を支えているのかは棚に上げて、刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)というテーマ化された観察対象だけを基盤にして内容を逆構成するという離れ業を...

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