カテゴリ「これからの大学」の記事一覧

とある中学・高校校長の断章についての感想 (2)― 「概念把握」型教育の重要性について、今さら言うのか(解説Podcast付き)

この先生の言う「概念型学習」のダメなところは、そもそもが、いちいち言わなくてもすべての学習は「概念型学習 」なのに、それを概念把握しない教員が、暗記に走るからです。授業の現場の単調さを知らない連中があたかも新しい教育法であるかのように、「概念型学習」に飛びつくのです。...

とある中学・高校校長の断章についての感想(1) ― 〈学校教育〉における生徒・学生の「多様性」「主体性」「個性」などをどう考えるのか(解説Podcast付き)

あなたの言う「学びを導く存在」は、支援者であることと同義ですが、そのように学ぶことのベースを生徒個人の能力(個性の伸長というように)に定位する考え方は、まだ個人として自立していない児童・生徒・学生にとっては負担が大きすぎます。 ※「あなた」の元記事は、この私のレポートの文末にあります。...

大学教育における〈批評〉の不在について ― 吉本隆明の〈文学体〉と〈話体〉(解説Podcast付き)

高校生のとき、圧倒的に影響を受けた吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』。前半の〈自己表出〉と〈指示表出〉という概念装置は、誰でも知っていると思うが、私があらーと感心したのは、実はⅣ章以降の〈表現転移論〉。...

認知行動療法の考え方について ― 『代替行動の臨床実践ガイド』(北大路書房、2022)を読む。(解説Podcast付き)

わが大学の総合心理学部講師・横光健吾先生(専門は依存症と認知行動療法、公認心理師、臨床心理士)から献本されました(彼はこの本の編著者です)。レビューを書かないわけにはいかないね、と言ってしまったので(もう二週間も経ってました)、土曜日の今日とりあえず書いてみました。横光先生、遅くなって済みません。...

〈教育〉と〈education〉という言葉の語源について

●〈教育〉と〈education〉という言葉の語源について ― (...)特に中曽根臨教審第二次答申(1986年)の第二章には「家庭の教育力の回復」と独立して章があてられ、「(...)教育を学校のみの問題としてとらえがちであったことについて、家庭が反省し自らの役割や責任を自覚することが何よりも重要である」とある。自民党保守派の家族主義が独立した章にあてがわれるほどに臨教審のイデオロギー色は強い。私はこれを臨教審の曾野綾子主義と呼んだことがある。...

学校教育におけるキャリア教育とは何か ― 本間正人✕芦田宏直対談(『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』出版記念・芳林堂高田馬場支店にて)(解説Podcast付き)

●本間正人さん(1959年8月東京生まれ)の経歴   東京大学文学部社会学科卒業後、松下政経塾第三期生として入塾し、松下幸之助の経営哲学を学ぶ。ミネソタ大学大学院修了(成人教育学博士、Ph.D.;戦略プランニング修士号、Master of Planning取得)。米国Coach University 課程を修了し、国際コーチ連盟(ICF)認定プロフェッショナルコーチ(PCC)資格(日本人初)を取得。 Corporate CoachU International から認定ファシリテーター資格、Case Western Reserve University Weatherhead SchoolからAI(Appreciative Inquiry)Certificate取得。
TOEICは990点満点。 「教育学」を超える「学習学」の提唱者であり、「楽しくて、即、役に立つ」参加型研修の講師としてア...

令和四年度からの高校の普通科4分化体制について ― またしても教育格差が拡大する普通科の〝多様化〟(解説Podcast付き)

アホな文科省は、令和四年度から、高校の普通科「改革」のなかで、普通科を四つに分け始めたことを、みなさんご存じですか。 普通科(従来の)、 学際領域学科、 地域社会学科、 その他普通科、...

生成AI批判の前提について ― 誰でも間違うようにして、生成AIも間違う。

生成AIの時代になると、その回答が正しいのか、間違っているのか、判断する側の〝能力〟が問われるし、これからの教育の課題もそこが大切、とアホな教育関係者は宣うが、そんなはずがない。...

「個別最適化」学習を学校教育に持ち込むと教育格差はますます拡大する。

8月27日のFacebook投稿で、元文科大臣の下村博文さんが、以下のようなことを言っていた。 なぜ全員が同じ教科書、同じスピードで学ばなければならないのでしょうか?現在の義務教育は、全国一律のカリキュラムに基づき、子どもたちが同じ内容を同じペースで学ぶ仕組みです。しかし、理解が早い子もいれば、じっくり考えることで力を伸ばす子もいます。画一的な教育は、子どもの多様な才能を活かしきれず、結果的に学ぶ意欲を奪うリスクがあります。 そこで私は「AIドリブン学習革命」を提案します。AIの活用によって、子ども一人ひとりに合わせた個別最適化された学びを実現するのです。学びが早い子はさらに挑戦的な課題へ、つまずいた子には理解を深めるサポートを。教師は「一斉に教える人」から「伴走する人」へと役割を転換し、子どもが自分のペースで確実に学びを積み重ねられる環境を整えます。義務教育を一律から個別へ。これこそ次世...

「試験の点数」軽視と教育格差について ― 〝主体性〟〝人間性〟教育が教育格差を拡大することについて

教育の目標は「試験の点数ではない」、「点数で子供の〝能力〟を測るべきではない」と言われて、もっとも被害を受けるのは、文化的にも経済的にも貧乏な家庭の子どもたちだということを未だにわからない連中がいる。 その連中は、「知識だけ」ではなく、〝主体性〟や〝人間性〟が大切とか言いながら、文化的にも経済的にも貧乏な家庭の子どもたちを食いものにしているだけのこと。そもそも「主体性」「人間性」という科目免許を持った教員などいない。そんな教員審査もされていない。誰が何の名目で、そんな〝審査〟ができるというのか。 そもそも泥棒も主体的に(場合によっては命がけで)泥棒をやっているわけだし、戦争のような非人間的で卑劣なことを行うのも人間性と言われているものの一つです。人間的であるからこそ非人間的であることはいくらでもあります。主体性とか人間性という耳障りのよい言葉は、問題の本質を解決する言葉ではなくて、むしろ...

大学において、期末試験(履修認定)を第三者化する意義について(Spotifyポッドキャスト音声概要付き)

シラバスや教材や小テストなどをいくら充実させても、期末試験(単位認定権 )が担当教員の手中にある限り、それらは絶えず形骸化する。意味がない。あらゆる〝教育改革〟は、この試験管理(判定管理)を棚に上げたままでは、すべて空虚。逆にあらゆる〝教育改革〟は、どうやって試験管理するのかをはっきりさせてから進むべきだ。 ...

英語で論文を書く、英語で授業を行うという貧困について

東大の授業の英語化(東大大学院工学系研究科)が議論されているが、昔、柄谷行人が(日本語で思考することの不利がらみで)英語で書き始めたとき、吉本隆明が、ほんとに国際的な水準を有しているのなら、誰かがその論考を何語にでも訳してくれるさ、と揶揄していた。たしかに、フーコーと吉本隆明との画期的な対談を通訳していたのは、後に東大の総長にまで上り上がる蓮實重彦だった。...

多様性教育、個性教育はマーケティングにすぎない。

たぶん、学校教育において、「多様性尊重」とか「個性を伸ばす」とか声高に叫んでいる人たちは、単に営業しているだけなのだ。そう言わないと集まってこない、教育できないマーケットを相手にしているに過ぎない。 本来は、好き嫌いと関係なく、学ばなくてはいけないことがたくさんある学校教育の課題を正面から見据えず、また見据えることができるほどの教員マネジメントのノウハウを持たないまま、そういった体のいい営業言葉を前面化しているだけのこと。 楽しく、主体的に学ぶことは重要なことだが、それは、学ぶべきことを学ぶプロセスの中でないと意味がない。...

文字教材(※)はプレゼンテーションの一種でも、授業手段の一つでもないということについて

※本学では一コマ90分の授業で、教員が書き下ろしの文字教材(10,000字~15,000字)を使用して授業を行っています。「これを単に読み上げて授業をやるのならば、機械でも出来るではないか、板書やパワポを並行して使うのは、いけないことなのか」というもっともな議論がありました。以下にその議論をまとめておきます。  本日(4月19日)オープンキャンパスの心理学科模擬授業パワポについての私のコメントは、「(精神疾患の)診断一致率の改善を目指し、DSM-Ⅲ(1980)から操作的診断基準が導入された。操作的診断基準は、症状の原因を排除し、疾患に特異的な症状、その持続期間を明確に定めた診断基準である」というテキスト内の「操作的」という言葉を巡ってのものでした。...

今日から新入生を受け入れる「履修の手引き(の一部)」を17,000字ほど書き下ろしてみた ― 全国初の生成AI全学導入の大学「履修の手引き」。

●本学の教育の特徴(1) ― 「学生の試験点数は、先生の授業点数」 1)学生の点数は先生の授業の質が決める ― 学生の努力も先生次第 本学の教育の特徴は、「学生の試験点数は、先生の授業点数」という考え方です。 学生であるみなさんの試験点数は、すべて先生がどんな授業をやれたか、授業テーマやその進展に関心が持てる授業をやれたか、わかりやすい授業をやれたか、やる気を起こす授業をやれたか、そういった諸々の先生の取り組みの結果生まれた点数です。その取り組みが真摯であれば、当然のことながら、みなさんの点数は上がる。落第することもない。 学生が予習する、復習をする、そういった取り組みも、先生が一つの授業にどれだけ時間をかけて取り組んだかの結果です。「最近の学生は予習も復習もしない」と嘆く大学の先生がいますが、自分がまともな授業準備もしていないのに、学生が予習・復習するはずがない。 2)授業の「つまらない...

生成AIの教育活用について 、あるいは知識・スキルの定着について ― テキストの要約、詳論、問題作成の多様で多層な展開が大学教育と大学教員にもたらす効果について

ここまでの私の生成AIへの評価。 生成AIは、一つの書き物(論文や既存の文献)が存在すれば、あらゆる観点からその内容の、別のものへの変奏(言い換え)が可能になる。この〈変奏〉こそが、〈教育〉の実体。※変奏とは、この場合、シラバスへの変奏、小テストやドリル、あるいは期末試験への変奏、難易度別の教材への変奏、そして、それぞれの変奏の無限に多様な展開などを指す...

【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0

今日の大学教育の衰退について ― あるいは、「学修成果の可視化」について 教授する術を心得ていることや知を教授すること、さらには知識を生みだす術を心得ていることは、私たちが問うている古典的かつ近代的な伝統においては、作品を生みだすこととは異なる。教員自身がその作品に署名するわけではない。彼ないしは彼女の教員としての権威は、作品に対する作者の権威とは異なる。(ジャック・デリダ) ※文中に出てくる(●●●)などの表記は、その直前の語句の上に付く傍点ルビを意味します。悪しからず。 【目次】 偏差値格差をどう乗り越えるか ― 多様性教育の害悪について(〝優秀な〟学生はどんな大学のどんな教員の下でも存在している)/成果の継続的な拡大 ― 「組織的な」教育の必要性について/〈修得〉主義と〈履修〉主義について ― 試験主義と出席主義の起源/拡張された学力概念の害悪(1) ― 科目教育の軽視と履修主義...

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