本日13日15:00より東京ビックサイトでの講演+対談(京都大学・飯吉透先生)のネタスライド(まだまだ誤字脱字含めて修正中)です。飯吉先生との対談は、このスライド講演についてのものになります。対談に引き続いて公開質問も受け付けます。WEB視聴も現地参加も無料です。私の講演のWEB視聴はすでに200名くらいの申込みがあるそうなので、私もお楽しみにしております。何と言っても『シラバス論 ― 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』(晶文社刊)を出した途端にコロナになってしまい残念なままの2年間でしたから。みなさま、本日ビックサイトで久しぶりにお会いしましょう。ご参考までに27枚のスライドはすべてアップしておきます。時間内には絶対全部終わらないと思いますので。 ※申込みはこちらから(個人でも参加可能。申込み登録しておくとWEB視聴の時にパワポ含めて資料類全部ダウンロードできます) ...
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2021年11月29日 18:18
これからの大学
●大学教育(学校教育)のレベルを担保するのは、〈試験〉 1. 今日の大学の序列化は、入学時の偏差値(入学試験のレベルとその解答のレベル)で決まっており、残念ながら、在学四年間の教育力がその入口の偏差値を相対化するところにまでには至っていない。文字通り、東京大学の入学試験は「とても難しい」という評価に伴って(その入学試験を解ける大学生の〝基礎学力〟の高さによって)大学の教育評価の大半が決まっている。 2. その要因は、大学内期末試験(毎期の履修判定試験)が全国ほとんどの大学で杜撰だからだ。 3. 杜撰になる理由は、大学は〈学校教育〉最後の学校になり、上位接続がないため在学期間の教育の第三者評価(客観的な評価)が〈就職〉という、学校教育体系とは異質な評価で曖昧にされているからだ。 4. その分、大学の教育目標も形式的には立てられるが、それよりも入学時の学力(偏差値)の方がはるかに第三者的で当て...
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2020年3月15日 02:03
これからの大学
,これからの専門学校
国語や英語や数学などの教科教育において、知識点数(だけ)ではなく、意欲、創造性も(共に)評価するという、いわゆる「観点別評価」が始まるのは、他ならぬ1990年代以降(=中曽根臨教審以降)の学校教育の中でのことです。 「観点別評価」を一言で言えば、知識点数は40点しか取れていないのに、20点の意欲点などをそれに付加して、履修判定のための最終「総合」合格点(60点)を出すというものです。こうやって、知識点数評価とは別に人物評価的な「観点」を加えていくと、従来は四〇点で落伍していたものが、人物評価主義的に救済されていきます。もちろん逆に100点の知識点数を有していても、50点マイナスの人物評価を受けて不合格になることがあっても理論的には不思議ではないのですが、事態はそうならず、前者の救済評価のみが1990年代以降蔓延したのです。 「知識のみならず、人物評価も」という議論の本来からすれば、(知識点...
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2020年3月14日 13:09
これからの大学
,これからの専門学校
なぜかと言えば、学校教育では、〈学ぶ主体〉などまだ完成していないのだから。むしろ〈学ぶ主体〉を形成するのが学校教育全体の目的であって ― 教育基本法では「人格の完成」いう言葉があるが、これは第一条「教育の目的」に属している言葉であって、まだ人格として完成していない子どもたちを前提とした言葉である ― 、〈学ぶ主体〉を前提にするのであれば、〈学校教育〉は存在する意味がない。 〈学校教育〉に〈学ぶ主体〉が存在するかのように思えるのは、家族や地域の文化環境(〝裕福な〟環境)のせいであって子どもそのものの力によってではない。学校教育は、家族や地域の文化環境をとりあえずは括弧に入れて、クラスに入れば子どもたちを公平平等に扱うところにある。すべてはこれからというところにしか学校教育の存在意味はない。そこで初めて、次世代を担う子どもたちは親の世代や階層(家族や地域の文化環境)を超えてあらたな階層を形成し...
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2020年3月14日 12:46
これからの大学
,これからの専門学校
Docendo discimus(ドケンドー・ディスキムス) は、セネカの言葉である(『セネカ哲学全集(第五巻)』倫理書簡集Ⅰ、岩波書店、2005年)。「教えることによって学ぶ(教えながら学ぶ)」という意味だが、これは西川純(上越教育大学)たちのくだらない『学び合い』教育とは何の関係もない。いつでもどこでも最高判断、最高認識が露呈する仕方で学ぶ者に接しなさいということだ。「君は君自身のために学んできたのだから」(同前・21頁)とセネカは教えることの啓蒙主義を退けていたのだから。 学ぶ者の程度を考えることは教える者自身の堕落に他ならない。「程度を考えて」教える教員は大概がその「程度」の教員に成り下がる。「わかりやすく言うと」と言いつづけて教える教員が、いつの間にかわかりやすいことしか考えられなくなることも多々ある。それは啓蒙主義の限界でもある。 一方、留保なく教えることができるときにこそ、〈...
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2020年3月14日 10:49
これからの大学
,これからの専門学校
,自己ベスト
※本間正人さん(京都造形大学教授)との、大激論公開対談(学校教育における〈キャリア教育〉とは何か)からの抜萃。 ●二重の差別を受けてきた「職業教育」 芦田 そういった議論を前に進めるために二点指摘したいことがあります。一つは、本間先生はいま偏差値が上の方の子はキャリア教育はなくてもいいかもしれないという前提(僕もその前提を共有していると指摘されながら)でお話になっていますよね。 僕はこの問題の内部には、実は別の問題があると思います。80年代後半の中曽根臨教審、これは下村博文さん(2012年~2015年の文部科学大臣)や安倍さんが全く同じ方針を引き継いでいますが、基本的にキャリア教育や職業教育に対する差別視がある。 つまり、一方にはジェネラル・エデュケーションとリベラル・アーツというこれまでの偏差値型の軸が一本あって、今の日本の教育体系ではこれを「頭がいい」と判断します。そこで、本間さんもお...
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2020年3月11日 15:35
これからの大学
,これからの専門学校
カリキュラム教育においては、科目はカリキュラムの〈部品〉に過ぎないが、東大に始まる旧帝大型の講座制(はるか昔、明治20年代以降に始まった)がまだ色濃く残る ― たとえ学校教育法が2007年にやっと改正され〈助教授〉が〈准教授〉になろうとも ― 今日の科目編成においては、シラバスの「詳細化」がカリキュラム開発に貢献することなどまだまだ考えられない状況だ。 天野郁夫によれば、「講座」の名称が登場するのは、明治23年の「大学令案」(文部大臣は第三代芳川顕正)らしい(『大学の誕生』中公新書、2009年)。当初の大学(教育研究組織)は、学部と学科の「二層」だったが、「大学令」以来、学部・学科・講座の「三層」になり、この「講座」に「教授・助教授・助手」が張り付いたのである。今からみれば、これが大学における学部や学科の求心性を殺ぐ教授主義の起源なのだろう。(※4)...
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2020年3月11日 14:26
これからの大学
,これからの専門学校
「専門」教養とか「一般」教養、あるいは専門教育と一般教育などのありそうでなさそうな区分ももう一度考えるべき時なのかもしれない。四年間全体が教養教育だと言えば言えるし、四年間全体が柔軟な職業教育だとも言えるこの時代に、学部教育(学士課程)のカリキュラムをどう考えるのか、そこにしか〈専門〉と〈一般〉との区別を考える手がかりはない。 佐藤学によれば、大綱化までの日本の大学は、アメリカの大学の教養課程+ヨーロッパの大学の専門課程を足して二で割ったような体裁(アメリカ型四年教養教育の二年縮減型+ヨーロッパ型四年専門教育の二年縮減型)を取っていたが、設置基準の「大綱化」により、「教養教育が軒並み衰退」した。「それほど教養教育の教官が恵まれない状況に置かれてきたということです。予算といい教育の状況といいノルマといい弱い立場に置かれてきた。そのために一挙に崩れた」ということになる(「教養教育と専門家教育の...
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2020年3月 7日 23:34
これからの大学
,これからの専門学校
,自己ベスト
※本間正人さん(京都造形大学教授)との、大激論公開対談(学校教育における〈キャリア教育〉とは何か)からの抜萃。 本間 僕は「学習学Learnology」というのを提唱していて、「最終学歴」という言葉を死語にすることが目標です。ここも、芦田先生とは違うところだと思いますけどね。「最新学習歴」が大切になってくると思う。 この大学、この学校を出たら学位が出ますというのは、現状、文科省の便宜上の形式的な取り決めに過ぎません。例えば僕らの話を聞いても、学位が出るわけじゃないですね。しかし何かそこで気づきがあり、何かそこで学びがあれば、最新学習歴を更新したことにはなっている。 やっぱり最終学歴という考え方は、教育学習のチャンスが社会的に極めて少ない資源で、かつ学校とかにフルタイムで所属しないと、なかなか知識や技能を身につけることができない社会では一定の意味があったのかもしれない。しかし今は自ら学ぼうと...
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(…) 苅谷剛彦は、戦後教育(日本型学歴主義)の平等感を、「画一的な平等化(生徒を分け隔てなく同じように扱う)」→「教育機会の拡大(高校全入運動)」→「メリトクラシーの大衆化(〝生まれ〟によらず誰にも教育において成功するチャンスが与えられている社会)」→「競争条件の均質化、平準化(偏差値による「客観的」「可視的な」基準による選別の公平性)」→「特権意識のない(…)学歴エリートの誕生(特定の文化的アイデンティティを持たない、大衆との連続線上に存在する学歴エリート)」→「不平等問題への視線の弱化(差別感を持たない教育への配慮)」と六段階に整理して、以下のように言っている。 「形式的な平等性によって、選抜の公平さを確保してきた戦後の日本では、これまで主観的な評価を受け入れる伝統が弱かった。従来の入試のように日本では形式的に人びとを公平に扱う手続きが、選抜の公正さを支えてきたのである。そのような社...
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(…)特に中曽根臨教審第二次答申(1986年)の第二章には「家庭の教育力の回復」と独立して章があてられ、「(…)教育を学校のみの問題としてとらえがちであったことについて、家庭が反省し自らの役割や責任を自覚することが何よりも重要である」とある。自民党保守派の家族主義が独立した章にあてがわれるほどに臨教審のイデオロギー色は強い。私はこれを臨教審の曾野綾子主義と呼んだことがある。 教育現場では〝できない〟学生が発生し欠席が連続し退学予備軍が生まれると、保護者と連係を取ろうという動きが生まれるが、〝できない〟学生の保護者は保護者自体が困難な事情にある場合も多く、「家庭が反省し、自らの役割や責任を自覚する」余裕などほとんどないのが現状である。答申から30年以上経って、その現状は日増しに高まっている。教育現場(学校)が「学校(教育)だけではどうしようもない」と音を上げたときに、子どもたちが戻れる家庭な...
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(…)一方で東京の名門私立学校が形成する家族主義的に選抜された学生群─この子どもたちの親は一般的に言ってその子どもたちが通う学校の教員よりも学歴(学校歴)と識見が高い ─ が存在し、一方でメリトクラシー(努力主義)によって非家族主義的(点数主義的)に這い上がってきた「グロテスクな」学生群 ─ 「それなりに才能がある、つまりそれなりの才能しかない」(高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年)と高田が指摘した文化人たち ─ とが存在している。天皇制の反対概念がメリトクラシーだと言ってもよい。 不思議なことに、名門私立学校と偏差値も付かない学校の入試選抜とはどちらも人物評価であるが、前者は中高一貫校選抜での家族(親)への評価、後者は学生個人への評価である。...
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(…)文科省の悪名高き「我が国の高等教育の将来像」答申(2005年)は、大学の「機能的分化」という言葉を使って、大学を以下の7つに分けていた。「① 世界的研究・教育拠点、②高度専門職業人養成、③ 幅広い職業人養成、④ 総合的教養教育、⑤ 特定の専門的分野(芸術、体育等)の教育・研究、⑥ 地域の生涯学習機会の拠点、⑦ 社会貢献機能(地域貢献、産学官連携、国際交流等)」。 これが悪名高い分化論であるゆえんは、既存の大学の偏差値格差、都市大学と地方大学格差を「機能的分化」という言葉でまぶしたような分化論=大学階層化にみえるからだ。20年前の中曽根臨教審のなれのはてがこの「将来像」答申だと言ってもよい。なぜかと言えば、その20年間であれだけ手垢の付いた「個性」「特色」という言葉をこの「機能分化」にことよせて、「個々の学校が個性・特色を1層明確にしていかなければならない」と言うのだから。2008年の...
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(…)最後に触れておかなければいけないのは、「大綱化」以降(厳密には中曽根臨教審以降)の大学改革と並行して進められた「新学力観」のことだ。「新学力観」において、「豊かに生きる力」の資質としての「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」が「観点別評価」と共に前面化されたが、これらの「ハイパー・メリトクラシー」(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年)は、カリキュラム開発の動機を殺ぐものでしかない。 なぜかと言えば、「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」などは結果の能力であって、目的にするほどの固有性はないからだ。たとえば、この「新学力観」が嫌う紙ペーパーテスト試験 ─ とりあえずこの「新学力観」が嫌いな「知識」だけを問う試験 ─ の点数は、そもそもが「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」の成果でないとしたらなんなのだろう。そんなものを伴わない「丸暗記」などあり得ない...
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私の近刊『シラバス論』(晶文社)の補論(1)「大学入試改革と人物評価主義について」(309頁~331頁)が機縁になって朝日新聞社から依頼があり、1400文字という厳しい文字制限の中でなんとかまとめた入試改革議論が2月17日朝刊の「文化・文芸欄」に掲載されました(以下挿入画像参照のこと)。1400字に簡略する前の段階の原稿(この原稿は1900文字あり、それを1400字に再度書き直したものが朝日の記事です)を掲載しておきます。少しはこの詳細版の方がわかりやすいかと。もっと詳しいバージョンは、『シラバス論 ― 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』(晶文社刊)の当該個所とシラバス論本論をお読み下さい。シラバスの問題と入試改革の問題は、同じ問題の裏表の関係になります。それが私のここ数年来の主張です。 ---------------------------------------- ...
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2019年11月19日 16:39
これからの大学
,これからの専門学校
― はじめて参加される方、「場違いだな」と思う方むしろ大歓迎(芦田の解題講演含みます)。 定価2970円(税込み)、560頁の『シラバス論』(晶文社刊)が、2400円(税込み)の著者割引で当日、どこよりも早く手に入ります!!。すでにAmazonでも予約できます→「シラバス論」予約 日時 2019年12月8日(日曜日) 場所 東京マリオットホテル(品川) 1階玄関左正面「スタジオ」https://www.tokyo-marriott.com/ 時間 14:00~16:00 会費 3600円(税別) ※おつりのないようにお願いします。 会費の中には ※食べ物(14:00からなので軽食ですが我慢してください) ・フィンガーサンド ・プレッツェル ・ミックスナッツ ・トルティーヤチップ ・フレンチフライ&オニオンリング ・ミックスグリーン ※飲み物 ・カー...
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2018年5月16日 11:46
これからの大学
,これからの専門学校
1)ノート論 授業が〝わかる〟とか〝わからない〟とかいう場合の一番切実な問題は、学生一人一人の理解の水準に授業(授業教員)が対応できないということである。 理解の〝水準〟と言っても、それは学生の基礎学力に差があるということではない。〝水準〟というより、すべての人間(学生)は同じひとつのことを学ぶにしても、様々なプロセスを通して〝理解〟に至るのであって、一人の教員が授業で行う展開は、たんに一つの理解プロセスをシミュレーションしているにすぎない。...
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2018年4月 6日 09:58
これからの大学
,自己ベスト
新入生歓迎の言葉(蒲郡にあるホテル竹島にて) ご入学おめでとうございます。教職員を代表してご挨拶させていただきます。 ご挨拶代わりに、大学とこれまでの高校までの勉強のどこが違うのか、そのことに限ってお話させてください。 まずは、この学生生活の四年間、〈検索〉するなと言いたい。もちろんWikipediaも使うなと。 高校までの学習は、教科書による学習。 誰が書いてるのかの著者名は書かれているが、その誰かがどんな思想の持ち主かは書かれていない。Wikipediaになるともっとその洞察はやっかいなものになる。 大学の勉強は、その誰かの言うこと、書くことを評価し、吟味するためのもの。あるいは、一つのテキストや解説をみただけで、それを誰が、どんな思想の持ち主が書いたのかを洞察する能力を身につけること。それが大学で勉強する意味。 ...
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先日、私のTwitterのフォロワーから、日経BPnetに2010年から連載していた「ストック情報武装化論」(第一回~第九回)が読めなくなっていると聞いて、ブログに掲載することにしました。 なお、この「ストック情報武装化論」は、書き切れなかった最終回も含め再編集して(大幅な加筆修正を施して)、近々出版されます。最初の回は「オンライン自己」について。当時、結構反響を頂きました。出版の原稿は、この四倍の分量になっており既に出来上がっていますが、とりあえずはこの短編で我慢してください。 ------------------------- 91年の大学大綱化から早くも30年近く経った。「大綱化」の基本はカリキュラムの自由化。総単位数124単位以上取れば卒業できるようになった。従来存在した分野別の必修単位科目は設置基準上はなくなり、大学は自由にカリキュラムを組めるようになった。...
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2016年5月14日 20:07
これからの大学
,これからの専門学校
【高度産業人材育成シンポジウム】 「実践的職業教育を担う新しい大学制度について」~公開パブリックコメント:高度な産業人材育成に何が求められるのか~ --------------------------------------------------------- 【開催概要】 日時:2016年5月19日(木)19:00~21:00 場所:富国生命ビル14階・第4セミナールームA :(東京都千代田区内幸町2-2-2) 最寄りの駅: 都営地下鉄三田線「内幸町」駅 A6出口 直結 JR山手線・京浜東北線・東海道本線「新橋」駅 日比谷口 徒歩6分 東京メトロ千代田線・日比谷線「霞ヶ関」駅 C4出口 徒歩3分 東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関」駅B2出口 徒歩5分 定員:200名(先着順) 参加費:無料 お申し込み・連絡先は、株式会社ベクトル 担当:川上、堀井 TEL:03-5572-7334 FA...
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