〝日本〟の戦後の(いまもなお続く)リベラリズムの問題は、すべて日本国憲法の平和主義に乗っかったまま、国家の自立を考えてこなかったことに起因している。

そもそも、「二人で話そう、幹事長・書記長」という番組が日テレでゴールデンタイムに放映されていたのを、皆さんはご存じか。その時の自民党幹事長が田中角栄、社会党書記長が成田知巳。

このとき、社会党の党是は非武装中立論だった。ひょっとしたら、日本国憲法を守れと言いながら、ロシア・中国の資金をもらっていたかもしれない。当時の社会党には中国派もソ連派もいた。ロシアと中国から見れば、日本は非武装中立がいいに決まっている。

日本共産党は当時から軍隊を持つことを隠していなかったから、天皇制と非武装を前提する日本国憲法は認めていなかった(今でもそうだが、なのに、歴代自民党は日本国憲法を守ろうとしていないと「二段階革命論」的に変なことを言い続けている)。

60年安保を挟む10年間の日本は、共産化した中国、そしてソ連とアメリカとの政治的な草刈場だったのだろう。岸政権の安保改定は、とても巧妙な日本の生き残り策だったと(今から思うと)思える。

こういったことは、なにも宇野常寛の言うような共同体vs個人の問題に解消できることではなく、歴史的なよじれをどう考えるのかの問題。

何度も言うが、憲法第九条は、まだ中国が共産化されていないときの条文。さらには終戦記念日を超えても、北海道の北部三分の一以上を占領しようとしてソ連は侵攻作戦をたてて、その部隊と果敢に戦っていた第5方面軍第88師団がいたことをみんな忘れている。終戦(=左翼の平和)を迎えても戦っていた日本軍がいた、というのは、ひょっとしたら今の日本も変わらないのかもそれない。

小泉進次郎が高市政権の中に入って目覚めたのは、防衛省の機密情報に彼がリアルタイムに触れることになり、対中国、対ロシアの日本侵攻を意識せざるを得なくなったからだろう。進次郎さえ目覚めるほどに危機はリベラリズムを超えて存在しているのかもしれない。

それは、右翼の国体主義とは別のものだ。国家がなくなれば人権も財産もなくなる。ウクライナやガザの今日的な事態を見れば明らかだ。

国際法も自然権も、そんなものは存在しない(カントとヘーゲルくらいだ、そんなことを真面目に考えていたのは。フクヤマの言うようには歴史は終わってはいないし)。〈国家〉が作られたものだというのなら、〈個人〉も作られたものだから。

そういうことを考えると今日のリベラリズムは、60代以上の「社会党」老人と日本の大学の甘ったれた教員たちといつかは大学教授くらいにはなりたいと思っている左翼ジャーナリストによって成り立っているが、それらは、テレビの視聴率層とかぶっている。同じように滅んでいくのかもしれない。が、滅びる前ほど元気になるのかもしれない。

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