電子書籍論の現在 ― ハイデガーの「ハンカチの結び目」
古典と呼びうる芥川賞的な「純」文学と直木賞的な「大衆」文学とは何が異なるのか?...
古典と呼びうる芥川賞的な「純」文学と直木賞的な「大衆」文学とは何が異なるのか?...
デカルトが、「われ思う故にわれあり」で発見した〈主観(subject)〉は、ある意味でessentia/existentiaの対立を統合し、存在者の存在は人間の自我となったわけです。すべての存在者は、この自我の表象=対象となった。...
朝から凜々しくハイデガーの一文から。このテキストでの Austragの使い方は圧倒的だ。私も、大学生の時にこの語の、このような使い方がわかっていれば、もう少しまともな、存在論的差異の解釈ができていたかも。私の時代には『同一性と差異』という論文以外に Austragという言葉はなかった。...
●大学は、〝自分探し〟の場所ではない。 ※この講話(約90分)は、16枚のパワポスライドを使ってなされました。掲載にあたっては、その場合の箇条書きをそのまま使用しています。行間が読み込みづらいところもあるかと思いますが、ご寛恕を。 大学は、〈他者〉が何を考えているのかを考える場所。「自分」「私」なんて死ぬ直前にふと思うくらいで充分。 ここで言う〈他者〉とは、大学の先生であり、先生が典拠している書物であり、現在までの歴史の全体です。現在そのものが歴史です。 大学の先生がもし立派に見えるとすれば、それはみなさんより書物を読んでいる分だけのこと。それ以外に先生が立派な理由などありません。素の言葉で、自分の言葉で話している先生なんてくそ食らえです。先人の諸々のパワーを継承しているからこそ、先生は立派な人なのです。 勉強するということは、人類が築いてきた文化的な資産(世界と世界史)を、すべて受け継ぐ...
(…) 一方、潮木守一は「最近では『わかりやすい授業』とは『勉強しなくてもわかる授業』、『予習しなくてもわかる授業』、『先生が答えを教えてくれる授業』になってきている(…)人間が長年にわたって学問にかけてきた努力と情熱を真っ向から否定している」という「ベテラン高校教師」の言葉を報告している(前掲書『大学再生への具体像(第二版)』)。 しかし、これはためにする批判のような気がする。パワポ論のところでも書いたが(二章五節)、授業という場所はどんなに資料(コマシラバスを含めて)を「詳細」化してもメタ情報 ─ それ「について」語るというように ─ が絶えず発生する場所である。詳細化の度合いは、そのメタ情報の質をどんどん高めてくれる。詳細に書き出した内容(の水準)を踏まえてメタ化が発生するからである。 詳細化すればするほどメタ情報は高度化する。書物、教科書、文献、教材資料、あるいは実習設備など、それ...
人工知能(AI)と機能主義の諸問題(1) ― 人工知能ほど主体的で人間的なものはない。 ●機能主義と行動主義 ― 「内面」とは結果に過ぎない。 機能主義の基本モデルは、簡単に言えば、「パブロフの犬」の条件反射。刺激を与えると一定の規則だった反応があるというもの。 機能主義は英語のfunctionalismの訳だから、むしろ関数(function)主義と言った方がわかりやすい。「パブロフの犬」に於けるベルの音と犬の食欲を表す唾液は、関数関係にあるわけだ。 刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)との間にある形式的な規則性が認められれば、その反応体(と取りあえずそう呼んでおこう)は何ものか「である」と。 機能主義は、どんな内容(=実体)がその刺激と反応を支えているのかは棚に上げて、刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)というテーマ化された観察対象だけを基盤にして内容を逆構成するという離れ業を...
●iPad現象と電子書籍の現在 古典と呼びうる芥川賞的な「純」文学と直木賞的な「大衆」文学とは何が異なるのか? 両者に截然とした差異があるわけではないだろうし、サブカルチャーの水準は従来よりははるかに高度化しているが故にますますその差異を見極めることは難しいだろう。しかしにもかかわらずその差異は相対的には存在している。...
●「転向」について (芦田宏直) 私は、吉本さんと個人的に対面したことは一度もない。私の家内が学生時代(今から四〇年ほども前)、吉本さんを神田の古書街で見付け、彼がどんな本を買おうとしているのか知りたくて追い回したことがある。 吉本さんは、いくつか書店を出入りする内に家内の尾行に気づき、早足になり、最後にはしつこい家内を追い払おうとパチンコ屋に飛び込んだらしい。家内もそれにめげず初体験のパチンコ屋に潜入し、裏口から出る吉本さんを追尾し続けた。...
●追悼のための銘辞 ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあふことをきらつた反抗がたふれる ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を 湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす だから ちひさなやさしい群よ みんなのひとつひとつの貌よ さやうなら ― 「ちひさな群れへの挨拶」(1952年)より ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧曝と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだ ― 「廃人...
この講義は1988年度法政大学通信教育スクーリング講座(於:市ヶ谷校舎)の、1年間通年で行われたものの録音テープを編集したものです(第二回目と第三回目の講義)。当時、熱心な学生がいて、私の講義を文字興ししてくれました。私が、教壇に立った最初の講義です。400名の履修登録学生のいる大きな階段教室での講義でした。Twitterで、「ある」と「べき」との関係について悩んでいる人がいたので、この講義を思い出した次第です。ここに再録します。懐かしい。私が34歳の時のものです。...
※この講演は「知的生産の技術」研究会(http://tiken.org/modules/news/article.php?storyid=66)の定期セミナーに呼ばれてお話ししたものです(昨年の12月13日、虎ノ門商工会館)。知研の八木哲郎前理事長とは、現在の理事長・久恒啓一さんとも長い付き合いで、生涯学習組織の理想的なモデルとでも言うべき活動を行ってきている会です。八木先生が師と仰ぐ梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書)自体が「生涯学習」の宣言とでも言うべき名著でした。八木先生は梅棹の『知的生産の技術』をまさに“実践”されたわけです。そんな会のセミナーに呼ばれて(これで2回目の登壇ですが)、ちょっと張り切りすぎました(笑)。文字興しは八木先生自身がされて、それに修正・補筆を加えています。見出しはもちろん後から私が付けたものです。講演(トーク)に後付で見出しを付けていますので重複もありま...
「知的生産の技術」研究会定例セミナーのご紹介 ●日経BPnet大好評連載中「芦田宏直のストック情報武装化論」最終回特別セミナー ●日時:2010-12-13 (月) 19時~20時50分 ●ところ:東京・虎ノ門・商工会館(電話:03-3581-1634)東京都千代田区霞が関3-4-2 東京メトロ銀座線・虎ノ門駅5番出口から徒歩5分 ●担当者 「知的生産の技術」研究会 事務局長 秋田英澪子(emirun@nifty.com) ●主催:NPO法人知的生産の技術研究会(http://www.tiken.org/) ●定員30名(早い者勝ち) ●お申し込みは、この記事の末尾をご覧下さい。 ●日経BPnet連載中「芦田宏直の『ストック情報武装化論』全10回 第一回「オンライン自己」という現象 http://www.nikkeibp.c...
過日9月10日「デザインとブランドアイデンティティ」セミナー&特別講演会」http://ujipub.exblog.jp/13027928/で講演しました。上記のUstは、その模様です。デザインを特に意味論から論じてみました。 講義のUstは以下 ●http://www.ustream.tv/recorded/9468646 講義で使ったパワポスライドのアウトラインは以下。 ...
日経BPnet BizCOLLEGE 上級教養講座:「芦田宏直の『ストック情報武装化論』の第8回がアップされました。...
8月29日日曜日14:0.0~16:00に、夏期「哲学」特別講義 ―「機能主義と哲学の使命 ― 存在論の今日的意義について」 http://tweetvite.com/event/ashida_lecture を霞が関ビル35階東海大学校友会館 http://www.tokai35.jp/ で開催します。...
東京都庁講演(http://tweetvite.com/event/TokyoTwitter)は、何とか成功裡に終わりました。...
前回08月27日の選挙論の記事で触れた丸山真男の議論、「在る」民意と「在るべき」民意の話(http://www.ashida.info/blog/2009/08/post_375.html#more)をもう少し教えて欲しいというメールが来ました。そんなことについて一々触れていたら身が持たないので(苦笑)、20年前に(1989年)私が法政大学の「哲学」講義の第一回目(4/24)で話した内容の一部を紹介しておきます。あとは、自分で勉強して下さい。私の35歳の時の講義の一部です(一部わかりやすく補っています)。聴講生は約400人。階段教室の大きな講義室でした。 第一回目(4/24)講義のタイトルは、「アルケーと存在と主体性と」(懐かしい!)。 文中、板書しながら話しているので、くどいところがあったり、前後がわかりづらいところもありますが(その箇所では一部「板書参照」と入れておきました)、なんとか...
※これは先に書いた吉本のETV特集出演に関する記事(http://www.ashida.info/blog/2009/01/post_318.html#more)の第2版です。倍以上に書き足しました。吉本については死ぬまで書くことはないだろうと思っていましたが、あの熱気ある語りが私の頭から寝ても覚めても離れず、ついつい書き足したくなっていきました。第三版、第四版と続きそうな気もしますが、今日はこれで。...
吉本隆明のETV特集「吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」(https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20090104-33-29741)、見ましたか。...
8月から続いている私の休暇だが、今日は、1995年に書いた論文が段ボールの中から出てきた。ふと読み直してみたが、これがまた良くできている(笑)。いまだに誰も超えてはいないだろう(苦笑)。本当はこの続きを書かないとダメなのだが、さて今の私に書けるかな。 『存在と時間』(1927年)というハイデガーの主著は実は中断された主著であって、途中でハイデガー自身が書けなくなった主著。挫折の主著でもある。私のハイデガー論文もそのように中断したところで終わっている(苦笑)。この先なんか誰も書けないでしょ。 謹んで、若い世代のハイデガー読者に捧げます。...
ゴールデンウィーク中でないとUPできないような堅い記事をあげておきます。ジャックデリダが1983年初来日した後(http://www.ashida.info/blog/2004/10/post_83.html)、一気に書き上げた論文です(脱稿は1984年4月)。特にヘーゲルの『大論理学』定在論の解釈は今でも自信を持っています。...
私が今から約10年前に書いた論文が、パソコンの「マイドキュメント」を整理していたら出てきました。人工知能はどこまで人間になれるか、人間はどこまで人工知能なのかを、ダニエルデネット(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88)、松原仁(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E4%BB%81_%28%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%80%85%29)、大澤真幸(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E7%9C%9F%E5%B9%B8)、ハイデガー、ヴィトゲンシ...
インターネットサイト利用は、もはや「お気に入り」をクリックする時代ではない、と私は書いた(http://www.ashida.info/blog/2007/11/googlerss.html#more)。...
ある読者の方から、お前のハイデガー論を読みたいとのメールを頂いた。何を今頃、と思ったが、私の著作(『書物の時間』)はもはや手に入りづらくなっているので、この際、ブログ版で再録することにしました。今でも悪くはないですよ(充分読む価値はありますよ)。関心のない人は読み飛ばしてください。...
●2007年03月20日 22:08 今日、ある人から、「人を殺してはいけない理由」って何ですかね、突然聞かれた。子供に突然尋ねられたらしい。 ...
早稲田のハイデガー研究者:川原栄峰先生(早稲田大学名誉教授)が23日亡くなった(http://www.asahi.com/obituaries/update/0123/005.html)。85才だと言う。私が高校3年の時になくなった父と川原先生とはほぼ同い年だった。...
最近、ミクシィ(MIXI)http://ja.wikipedia.org/wiki/MIXI に関心を持っている。私も今年の1月に学生から紹介されて加入したが、ほとんど使ってはいなかった。子供だましのようなものだと思っていたからである。ブログの方が大人、というわけのわからない“差別”をしていた。だから、ブログの記事に自動的にリンクを張るように設定し(ミクシィの設定でそれができる)、特にミクシィ用の記事は書いていなかった。...
“難しい”文章や本を読むのが苦手な人というのは、何が苦手なのだろうか。...
2000年10月14日の「なぜ人を殺してはいけないのか」から2005年9月6日の「私の人材論 ― 反コミュニケーション論」までの62編をまとめてみました。...
評論家風に言えば、私は、アルジェリア生まれのユダヤ人デリダは知性化されたレヴィナス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9 だと(今となっては)思っている。...
デリダ思想の原型をなす言語=記号論は以下のようなものです。 たとえば、〈言葉〉、あるいは〈記号〉というものは、それでもって〈意味されるもの(シニフィエ:所記)〉と「それでもって」の「それ」にあたる〈意味するもの(シニフィアン:能記)〉とに分かれます。〈犬〉という言葉自体はほえたりはしない。赤信号の赤そのものは、止まったり、歩いたりはしない。この場合のほえない〈犬〉、止まらない〈赤〉を〈意味するもの(シニフィアン:能記)〉といい、ほえる犬や止まれという命令を〈意味されるもの(シニフィエ:所記)〉と言います(そんなに簡単な話ではないのですが、デリダさえも時々こんな説明の仕方をするので私もここではそうしておきます)。とすると、能記と所記との間には、直接の関係がない。ほえる犬そのものを〈猫〉と呼んでもかまわないし、「止まれ」は別に〈緑(青)〉でもよかった。「ほえる犬」を「犬」と呼んだり、「止まれ」...
当時はまだ日本の誰も注目していなかったデリダを『声と現象』の本邦初訳(1970年:原書は1967年刊)以来追跡してきた高橋允昭(のぶあき)先生にとって、70年代後半〜80年代全体を支配する世界的なデリダ“ブーム”の中でデリダが初来日した1983年は、先生の仕事全体にとっても頂点とも言える時期だった。「これがあのデリダの紹介者の高橋允昭か」と私は彼の初講義で神々しく見上げたことがある。「脱構築(だつこうちく)」という言葉、「差延(さえん)」という言葉をどこかで聞いた人は、みんな高橋先生のこの訳業の空気の中で息を吸っている。この訳語に対してその後、異を唱える人もたくさんいたが、それもこれも(いい意味でも悪い意味でも)デリダ=高橋「現象」の中でのことにすぎない。 熱気あるふれる早稲田でのデリダ 新しい思想の発見という仕事は、いつも後からしかわからないという意味で、1970年の孤独な仕事(訳業)が...
私が、デリダの論文を最初に読んだのは、『竪坑とピラミッド』というヘーゲルの記号論を論じた論文。1973年『現代思想』創刊号(青土社)に収められていた(私は当時19才)。その時の私には、デリダよりもこの青土社の『現代思想』(http://www.seidosha.co.jp/genre/siso.html)の方が衝撃的だった。 当時、私が読んでいた思想誌は、岩波の『思想』(http://www.iwanami.co.jp/shiso/)、理想社の『理想』(http://www.washin.co.jp/honya/home/s_infos/650.html)、情況出版の『情況』(http://www.arsvi.com/0m/j.htm)、筑摩書房の『展望』(http://www.chikumashobo.co.jp/company.html)あたりだったが、この青土社の『現代思想』は、すで...
デリダは1983年に初来日し、 10月24日:東京日仏会館『バベルの塔』 10月26日:早稲田大学文学部『私の立場』、東京日仏学院『掟の門前』 10月27日:東京大学文学部『大学の瞳=被後見人』 10月28日:福岡日仏学院『掟の門前』 10月29日〜11月1日:京都日仏学院『時間を与える』 11月2日:東北大学文学部『哲学を教えること』 と精力的に講演をし続けた。私がデリダに高橋先生と一緒に同行したのは、東京日仏会館(24日、26日)、東大(27日)、京都日仏学院(29日〜11月1日)の三箇所(もちろん母校の26日早稲田を入れれば四箇所)だったが、以下はその10月26日の早稲田大学においての質疑応答の私の質問部分に彼がこたえた部分です。その質問会場になった、人だかりの熱気あふれる早稲田大学文学部2階の会議室の風景写真を添付します。 芦田:あなたは、ヘーゲルの記号論でのル-プレザンタシオン〔...
デリダ(http://www.asahi.com/obituaries/update/1010/001.html)が死んだというのを(http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__yomiuri_20041009i513.htm)、私の大学時代(立正大学で教えていた頃)の教え子から早朝メール(先生、9日夜にデリダが亡くなりましたね。74歳。まだ若いです。膵臓がんだそうです。(仏語のソースを読んだだけなので、間違えていたらすみません)。〈脱構築〉の概念を最初に教わったのは、芦田先生の授業だったかと思います。デリダのテクストは難解でした… )が来て知った。...
たとえば会話や議論というものは、相手が「知らない」ことをしゃべってもしようがないということがある。わかりやすいことで言えば、専門用語や業界用語を使う場合や、もっとわかりやすく言えば、「昨日、ユーレイ(幽霊)見たんだよ」という超体験的な話がなされる場合である。 ...
1年前の今日24日は、大雪が降っていたのを思い出す。というのも、その大雪の日が、恩師・永坂田津子(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%B1%CA%BA%E4%C5%C4%C4%C5%BB%D2&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=11&s1=za&dp=&kywdflag=0)の密葬の日だったからだ。もう1年が経ってしまった。...
本格的に理論的な意味での「世界史」という概念が成立したのは、19世紀中葉、ヘーゲルという哲学者を待ってのことです。 ...
今から、お通夜に行って来ます。なぜか、私だけの「お別れの言葉」でお通夜を終わるそうです。青土社の社長が急遽出られなくなったということで、大任を仰せつかりました。でもどうしましょう。とりあえず、原稿は書きましたが、書きながら涙が出てきて止まりませんでした。家内にその涙を隠すのが大変で。無事読み上げられるか心配です。...
私の学部時代の恩師、永坂田津子(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=2&st=&ti=&au=&ol=%B1%CA%BA%E4%C5%C4%C4%C5%BB%D2&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&s1=&dp=10)が昨日15:58分死去しました。67歳でした。自宅23時前に帰ってから今連絡がありました。ショックです。...