朝日新聞GLOBEの「入試とエリート」(3月6日)の中の私の記事「点数主義の方が多様だ」 http://globe.asahi.com/feature/article/2016030300006.html?page=4 、および日本経済新聞の「大学入試新テスト、記述式導入 有識者会議が最終報告」 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H49_V20C16A3EA2000/ についての「識者の味方」(3月25日)の私のコメントで話しきれなかった部分を以下で補っておきます。 -------------------------- 〈学力〉とか〈知力〉とか〈思考力〉というのは、それらの能力が〈現在〉と〈個人〉に集約されているために、短い時間の紙試験であっても、あるいは一回の紙試験であってもそこそこの選抜が可能になりますが、人物評価における〈人物〉というのは...
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●〈人物〉評価とは身分の評価でしかない 安倍政権の「教育再生実行会議」(座長:鎌田薫・早大総長)が、大学入試(センター入試)を〝人物重視〟に改める提言を10月末日(2014年)に発表しました。また昨日25日(2016年)は、その「教育再生実行会議」の議論の延長上で、大学入試改革を議論する文科省「有識者会議」(座長・安西祐一郞)の最終報告がなされました。後者の力点は「知識偏重」に対する記述式問題の導入という観点です。 こういった動きに関連して、私は、まずは朝日新聞朝刊社説面(オピニオン欄)で「脱・点数主義の罠」(2013年11月12日)として論じましたが、ここではさらにその論点を詳述してみたいと思います。 「人物本位」の大学入試に問題があるのは、〈人物〉評価というのが、生まれたときからの長い時間を経た、本人の意識や努力にとどまらない要素、つまり環境(ハビトゥス) ― 家族やその交友関係や地域...
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明けましておめでとうございます。 歳を取ると年月の流れが速くなると言いますが、それはたぶん何をするにしても「最後の…」ということを意識するようになるからでしょう。若いときには何度も失敗が許されたのかもしれませんが、さすがに“失敗”が許されない年になりました。溜(ため)の効かない年になったのかもしれません。そもそも歳を取るということはそれ自体が〈溜〉だからだ、ということでしょう。 若いときには無知が行動力の源でしたが、何に付けても即断できるストックのあることが大人への社会的な期待でもあります。ストックに基づいた即断をこそ〈分別〉と呼び、それは始まりにして終わりを見据えることとほとんど同義です。時の流れを終わりにおいてみる(向こう側からみる)、ということを〈分別〉と言うのかもしれません。 そしてたぶん、その本質は、終わりの時を待てることです。若いときほど待てないのです。〈待つ〉には〈溜〉が必要...
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2016年3月10日 22:07
IT・AI社会論
(…)ツイッターの微分機能は…携帯でもないし、電話でもないし、チャットでもない新しい次元を切り開いたわけです。 これは内面を現在で微分しているという意味ではすごく内面を強化しているけれども、タイムラインがどんどん内面を解体していきますから、携帯電話やメールのようなきつい感じにはなっていかない。飽きず疲れず時間を忘れるのがツイッターの本分で、僕なんか何回自分の駅を通りすぎたことか(笑)。もう着いちゃったみたいな。〈現在〉という時間はむしろ時間を無化するのです。 新幹線の大阪 ― 東京ぐらいだったら苦もなく時間を過ごせるというのがツイッターの面白さです。内面の現在を共有するということは、従来は少数の他者との関係を知ることであったにも関わらず、ツイッターでは多数の他者との現在を簡単に増大させることができる。 よくフォロワーを増やすのは大変だと言う人がいますけれども、フォローを増やせば、フォロワー...
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