2011年02月に投稿した記事一覧

(続)「学び合い」小学校教員からの再反論がありました ― 謹んでご紹介します。

「 『学び合い』小学校教員からの反論がありました ― 謹んでご紹介します」http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_405.html#more の私の記事に対してふたたび当事者の先生から意見を頂きました。ありがたいことです。再度誤解を解きたいと思います。...

「学び合い」小学校教員からの反論がありました ― 謹んでご紹介します。

この「反論」は、小学校の「学び合い」授業を参観して(1)http://www.ashida.info/blog/2011/02/1_3.html#more という私の記事に対するものです(まだ書きかけのものですが)。私が直接授業を参観させていただいた先生からのもの。貴重です。 1)私は「学び合い」ではそもそも毎時ごとのレフェランス(「基準値」)というものはそれほど重要ではないと考えます(これは「なくてもよい」というわけではない)。そもそも毎時ごとに基準値を達成させようとするから、多くの児童や生徒がそこからこぼれて逃げていく。児童の進度のみならず理解度も授業内でばらばらなため、相対指標しかないと言われるが、そもそも毎時ごとに達成基準を設けて児童の到達度を細かく測っても、その合計が子どもの理解の深度や確かさにつながるわけではない。 【芦田】特に毎時的である必要はない、が、ではどんなスパンでレフ...

小学校の「学び合い」授業を参観して(1)

福島県の某市立小学校の「学び合い」教育の授業を2月23日終日見せていただいた。お昼休みの食事なし(笑)の教員との意見交換、終了後、再度約4時間の意見交換、計5時間の意見交換ができ、貴重な授業評価会だったと言える。この学校は上質な「学び合い」教育を行っている学校と聞いている。授業改善に前向きに公開的に取り組まれる校長先生、教員の方々のご協力に心から感謝したい。 ...

「学び合い」教育の諸問題(3) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと

「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月17日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_403.html#more、「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月18日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/_2.html#more の続編です。まだまだ続きます。 【「学び合い」教育の諸問題(84)】操作と習熟を超えた教育とは、「学び合い」教育に対して言えば、先生にしか教えられないことを教えることである。たとえば、こんなふうな→http://www.ashida.info/blog/2003/05/hamaenco_3_51.html。小学校で言えば、かけ算はなぜ面や立体になるのかというような。...

「『学び合い』教育の諸問題」を読んで ― 元中学校教員からのメールが届きました。

「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月17日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_403.html#more、「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月18日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/_2.html#moreの二つの記事に、今日感想を寄せてくれた元中学校教員がいます。関連固有名を伏せて、原文のまま、掲載します。...

「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと

この記事は「『学び合い』教育の諸問題 ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと」( 2011年02月17日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_403.html#more の1)~53)の続編(54)~(83)です。まだまだ続きますが、とりあえず私の整理の中間報告をします。 【「学び合い」教育の諸問題(54)】さて、できる子供は、通常の一対n個の授業のように先生に直接教わる機会を経ないでも、教室内で主には自学習を進める。その“教材”は教科書+業者の教材プリントかも知れない、教員のオリジナルプリントかも知れない。教員によってまちまちだ。 ...

「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと

【「学び合い」教育の諸問題(1)】この教育「実践」を行う教員たちは「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」に期待する教員が多いが、学校教育「以前」、教員の教育「以前」、教室授業「以前」の子供の「潜在的能力」、「可能性」とは、結局のところ家族の環境や地域の環境に色濃く影響を受けたものでしかない。 ...